セイっ!

ハッ!

耳のこと。

 

時系列から見るとばらばらになってしまいますが、

SNSで呟いたこと、そしてそれにK.N(またの名を家畜)さんが

反応してくれたことをできるだけひとつひとつ記事にして載せていきます。

 

本当はひとつの場で「まとめて発表」したかったんですが、

そろそろ留学するのと、自分の中で考えがまだまとまっていないので、

まずは最初にこちらで形にします。

 

 

2016/07/29 1:18~

 

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例の障害者殺人事件(津久井やまゆり園事件)のニュースについての意見が述べられた文章を読んで、思い出したのは小学6年生のときの大嫌いな先生のこと。あんなに誰かを嫌いだって、ぶっとばしたくてたまらなくて、一緒にいたくもない、顔も見たくもないと強く感じたひとはいない。そんなにひとのことを嫌いたくはないけれど、あのひとだけはすごく嫌いだった。

 

2

私の通っていた小学校には、耳の聞こえない・聞こえづらいひとが行く特別学校があった。そこは「聞こえ」と呼ばれていて、私にとってはふたつめの教室みたいなところだった。小学5年生まで担当していた聞こえの先生は、とても良き先生で、信頼も厚かった。

 

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休み時間の終わりごろに、ノートと筆箱と、あとは必要なものを持っていて、耳が聞こえる友達がいる、いわゆる一般教室(?)から出て、聞こえの教室に向かっていた。いつもその瞬間は私にとってとても特別な瞬間だった。騒がしい音が徐々に静まっていき、やがて足音だけが聞こえる廊下。体育の授業がない曜日は、昇降口の向こうに誰もいない小運動場が見えた。教室で授業を受けているみんなとは違う時間を過ごしているような新鮮味もあってどきどきして、だからこそ、授業が始まって静けさが広がる廊下を歩いて、聞こえの教室に入るのは苦痛じゃなかった。

 

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この時間がずっと流れるのかな、と疑いもなく思っていたけれど、それは小学5年生で終わりを告げた。ずっと担当してくれていた先生が、定年退職することになった。私はすごくさびしい思いと、すごく嫌な予感がした。私は心の底で「やめないで」と思った。言いたかったけれど、言えなかったような気がする。今思い返すと、「聞こえの教室だったのに、耳が聞こえづらいことを思い出す瞬間はあまりなかった」ことに気がついた。そして、それはすごいことなんだと気づかされた……。

 

5

小学6年生に進学した私は、聞こえの先生が誰になるのかが気になっていた。どきどきやわくわくはなかった。ただ、ひたすらいやな予感がした。そしてそれは当たってしまった。

 

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新しく担当になった先生は、私が小学5年生のときに入った園芸関係の委員会を受け持ったひとだった。

 

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私は元々生真面目な性格があるのと、一度ハマると時間を忘れてやることがある。(それはたいてい勉強ではなく遊びだが。。。)そして元から自然がすごく好きだったのもあって、草むしりの作業は苦痛ではなかった。そして、草むしりをする私の姿を見て、その先生が「仲良くなりたい」と言ってきたことだった。そのとき、私はなんだかいやな感じがした。

 

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そのいやな感じは、その先生が聞こえを担当してからも抱き続けた。「一緒にいたくない」という気持ちが勝って、聞こえの教室にはいかず、一般教室にいるようになった。楽しかった。ずっとこっちで授業を受けていたいと思った。耳が聞こえなくて、反応が出来ないことや、音読がうまくできないことや、そういう日常生活で劣等感を感じたり、傷つくことはあったけれど、聞こえにいるよりはずっとましだった。

 

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そうすると、やがて聞こえの先生から「なんでこないの?」と訊かれた。渋々聞こえに行くと、「ここにもちゃんと来てね」ということを言われた。でもどうしても好きになれなくて、嫌だという気持ちに嘘はつけなかった。それで、聞こえの授業をさぼって、たまに来てを繰り返していたら、ある日はっきりとこう言われた。

 

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「あなたは耳が聞こえないんだから、あっち(一般教室)じゃなくて、ここ(聞こえ)に来るのが正しいのよ」

 

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私はそれを聞いて、すごく腹が立ってその場を出た。吐き気がした。大好きな友達がたくさんいる教室に戻るとき、廊下を怒りの感情と一緒に歩いていたけれど、心の中では泣いていたのだと思う。「前の先生だったらそんなことを言わない」って。「なんで耳が聞こえないだけでそんなことを言われなきゃならないんだ」って。

 

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それからは全部ばっくれた。ばっくれてやった。母にも幼馴染の友達にも先生から「聞こえの教室に来るように声をかけてください」という呼びかけがあったみたいだった。だが、ふたりとも強いることはなかった。母は特に何も言わなかった。ありがたかった。

 

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あの時私は、「あなたは耳が聞こえないひとで、普通のひとじゃない。そんなあなたが耳の聞こえるひとがいる教室に居たら迷惑でしょう。だめよ、こっちにいなきゃ。あなたは本当はここ(聞こえ)に居るべきなの。あなたに選択する権利はないのよ」と言われたような感じがあったんだなあ、と。

 

K.N(略N)

健常者目線でその先生の心理を考えてみると、もしかすると、「あの子は無理をしてる!」みたいな、「ここのほうが良いのよ!」みたいな気持ちだったのかなと思うんだけど、でもそれって結局「かわいそう」という上からの感情から生まれているに他ならないのだよなあ。まあいわゆる某24時間テレビ的な「ハンデのある人が!一生懸命!がんばってる!うわあ!すごい!だめよ無理しないでー!もういいよー!」というなんだろな、「だってあなたはハンデあるんだからー!」みたいな?

 

「かわいそう」って厄介だね。だから私は小学からずっと「かわいそう」という言葉が嫌い。家族にも使わないでって何度も怒った。あの先生は「対等ではないんだけど対等な関係」を築きたかったんじゃなくて、「私が救ってやらなきゃ!」だったのかもしれないね。「だってあなたはハンデがあるんだからー!」=「だってあなたは私たちと違って劣ってるんだからー!」とも読めちゃうよね。

 

N

ほんとそれよ!劣ってる人ががんばってる!となるから美談になるわけでしょ?わたしはひねくれて考えるから、なんか前も言ったけど、「は?健常者の辛さと障害者の辛さくらべんな?健常者だから出来て当たり前みたいなのやめろ?」ってなるだけなんだけどねww

 

美談は一番醜いものだったりするね。ひねくれてるというよりは、あなたは頭がいいんだよ。みんなが気づかない違和感と矛盾とおかしいところに気づくし、想像力も豊かだから(いい意味で)そう思うんだよ。

 

N

あと、あと、たぶんA(私)が小6の時に感じた怒りは、そのわたしの健常者だからこその差別感にも似てるのかもしれない。どうしてわたしは障害者になれないんだろう、とわたしが思っていたこと自体、むしろ障害者への差別とか過剰な接し方を表してるのかなとおもた!

 

今気づいたんだけど、根本的なところって、「障害者/健常者」よりも「差別/過剰な意識・接し方」をされたからこそ『怒り』を感じるだったりするのかな。これって幅が広くなっちゃうけど、「加害者/被害者」とか「お金持ち/貧乏」とかにも当てはまりそう。

 

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私がとても信頼していた先生の方は、とても厳しく、優しかった。それは障害に対する憐憫から生まれるものではなくて、ひとりの人間として見ようとしてくれていた意識からだった。とても好きだった。だから退職されるときいたときはすごくさみしかった。離れたくなかった。